ニューヨーク酔夢譚
第一章 アップの経緯
井上 篤次郎 ( N1 )
私は「ニューヨーク酔夢譚」、と題する文を2012年にあるところに書いたが、
海神会の web ページにも、という依頼をうけ、そこにいたる若干のいきさつを述べて
おくのがよい、と思うので記します。
1.大羽真治先生の芝生とキャンパスの美化活動とメール
2016年3月のある日、E8の卒業生を主とする方々のメールのやり取りが私のところに
きた。昔のことなら井上に聞け、ということらしく、次のような質問であった。
神戸商船大学初代学長 大羽真治先生は学内の美化に熱心で、
キャンパスの草取りなどをされていたお姿を記憶している。
その頃、先生はアメリカの商船大学を訪問され、美しい芝生に感銘をうけ、
その種子を深江にまかれたはずだが、それはどこか、そして今どうなっているか、という問いであった。
いま深江では多数の卒業生が海事博物館の世話に、あるいはキャンパスの整備・清掃にと
ボランティア活動をしている。平成29年(2017)は川崎商船学校が開校されてから100周年となり、
深江の美化活動の話のなかで、この大羽先生の芝生がでてきたらしい。
2. そのメールへの返事の概要
その問いに返信メールをだしたが、その概要はつぎのようなものである。
「 2016.3.13
今村正吾、村田晃、山田嘉道、神吉行彦、滝本純治 の皆さま
井上 篤次郎
拝復
皆様のメールを順番に見たのではなく、一度に見たので、逐次の返事ではなく大羽先生、
アメリカ商船大学、芝生、常に気力と体力、というキーワードでお答えします。
もう一つ、私のニューヨーク大学のことでほとんどの皆さんが間違った理解のようですので
その訂正もいたしたく、お願いします。
(ア) 大羽真治先生とアメリカ商船大学
多分昭和34年、アメリカ商船大学を訪問されました。
なぜキングスポイントに行かれたのかは知りません。
合衆国商船大学は、陸、海、空の士官学校、に次ぐ第四の軍事力、としての位置づけでした。
若い学校で、日本の高等商船学校をモデルとして設置された、というのがわれわれの学生の頃の噂でした。
(イ) 芝生のこと
当時の学長室は現在の1号館の2階、東端の南でした。
大羽先生は、もらってこられた種子を当時の本館の南側の空き地 (現在は職員用のテニスコート) にまいた。
日本では芝生、というと高麗芝で、あれは竹のように根がつながっている。
アメリカでいうローンは牧草の一種で、維持管理に手がかかりアメリカの亭主が芝刈りに追われる、
というのは漫画などによくでてくるものだ。
そのローンの種子をまいたが、残念ながら手入れ不足で続かなかった。
皆さんが言う、大羽先生が校庭の手入れを・・・、というのは、昭和35年のご退職後、大羽先生は
香櫨園の自宅から保久良神社に毎朝登山をし、その帰りに白鴎寮に寄られ庭の手入れをされていた。
そのお姿のことでしょう。
(ウ) 常に 気力と 体力を
寮の食堂にかかっていた先生の扁額の言葉はいい言葉です。まさに、深江のモットーです。
寡黙でいつも落ち着いて、立派な方でした。
(エ) わたくしのニューヨーク大学行きのこと
どなたかのメール文の中で、大羽先生がアメリカの商船大学を訪問されたのは、その頃ようやく日本にも
外貨が貯まり、海外視察も可能となり云々とあり、それに続いて井上もアメリカに行った、とでてくる。
その文脈でいくと私も国民の税金でアメリカに行った、と受け取られるが実に心外です。
わたくしは、ニューヨーク大学 ( New York Univ. NYU ) の助手に雇われてアメリカに行ったので、
旅費も滞在費もなにも一文も日本の税金を使っていません。
そのことはわたくしの誇りでもあります。
2012年に私がいた旧制神戸一中(現神戸高校)のクラス会「有終会」の文集に、
「ニューヨーク酔夢譚」と題して寄稿した文章があり、わたくしがどのようにアメリカに行ったのか、
メールの皆さんに知っていただければ、と添付ファイルでお送りします。
気象学・海洋学科の大学院生として助手として悪戦苦闘したこと。今思っても涙がでる。
どんどん仲間が脱落していくなか、1967年10月、入学同期として最初に博士 (Ph.D.) の学位取得。
NYUから優等賞ももらった。5年が経っていた。
若さだけがあった。実に密度の濃い、ノイローゼ気味の、甘酸っぱいニューヨークだ。
いかにして金なしでアメリカの大学院に入るか、そのノウハウが分かり、
神船大の一桁と10期代の深江卒の
何人かの教員が同様にAmerican Educated になった。
われわれはアメリカの大学に行くのに税金は使っていません。
親しい、あなた方だ。つい、長くなった。許せ。
おやすみ。
早々 」
3.海神会への寄稿と一つだけ補足
こうしてお送りしたその添付ファイルの文を読まれた方が「面白い、まさに神船大。
同窓会報のどこかに載せては」と海神会に提案され私のほうに依頼があった。
ということです。
恥ずかしく、またはしたない気もしますが、神戸商船大学卒業生の一人の青春として
「ニューヨーク酔夢譚」をお読みいただければ幸いです。
その文の冒頭の「酔っぱらっていたのと、違いますか」、とからかう「はるか後輩」とは、
今は亡きE17 故石田憲治博士のことです。
あの頃は、みな、貧しかったが、若く、元気だった。
☆編集者追記:酔夢譚の題名ですから、故石田憲治先生もいろんな意味を込められての
からかわれかな?天国で微笑んで居られるでしょう。
「酔っ払い(酒に酔った人)
陶酔(夢見心地、自己陶酔)
心酔(うっとりと心地よい気分、心から感服し傾倒する)」
原先生、井上篤次郎先生、久保先生
井川先生、井上篤次郎先生、神吉氏、杉田先生、古荘先生
(杉田先生写真提供)
(第二章へ続く)